「左右されない」とは主体的であること
「自分という物語の主人公になれ」と言われることがあります
そのためには、生活の中でどうしたらいいのか具体的な部分がわかりにくいかもしれません。
簡単にいうと、こういうことかなって思います。
何か気になったり、問題があったりする時
自分が直接関わることができるかどうかを見極めてそれに合わせて行動すること。
主体的じゃない例、その1
たとえば、天気の変化や地震の発生について気にしても、自分の行動や選択ではどうすることもできません。
なので、これらの問題については関わる必要がないんです。
言い換えたら、心配したり考えても時間の無駄ということになります。
情報を知るということを否定しているわけではありませんので、念のため。
そのために準備をしておく、というのがこの後に書いていく主体的な行動となります。
主体的ではない例、その2
次に○○が○○だったらいいのに、と思ってしまう場合。
その○○が自分以外の人や物事の場合も同じです。
一見、自分と関わりがありそうにみえますが、その対象は他者なので、自分の思い通りにコントロールすることはできません。
なので、すっぱりとあきらめましょう。
主体的であることを発揮できる場面
それでは、主体的であることを発揮できる場面って、どういうときなんでしょうか
それは自分の行動や考え、思いに関すること。
自分の行動や考え、思いは自分でどうにでもすることができます。
例えば、イヤだなと思うことが起こったとき。
そのイヤだと思う事柄はそのままではなくならないし、それをコントロールしたり排除することはできません。
(さっき、他者はコントロールできないと言いましたね)
この場合は自分の考えである「イヤだな」という思いを変えればいいんです。
実体験を元にして説明しましょう
実はこれは私の生徒さんの実体験が元になっています(笑)
職場の人の働きぶりが気になるとします。
自分よりお給料が高いのにその分、働いているように見えない上司がいます。
「主体的ではない行動」の例はこうです。
・その上司を見るたびにイライラする
・スキあらば彼の仕事の揚げ足をとったり、部長に言いつけようと画策します。
これでは、このイライラは絶対に解消されることがありません。
一方、「主体的な行動」とは――
働かない上司にお給料を出しているのは会社なので、それに関しては自分が関わることはできない問題だと考える
そして、その上司を見てイライラする時間があるならその人を見なくていいくらいに自分のやるべき仕事に没頭する
こうすると、彼の働きぶりは気にならなくなるはずです。
そして、うまくいけば仕事ぶりを認められて……となるかもしれません。
冒頭の天気の変化や地震の発生であれば、天気予報でイライラしたり、地震予知についてドキドキしてしまうことが主体的ではないこと。
それに対して、傘を用意したり、万が一の備えをすることが主体的な行動です。
自分が人生の主人公であるために意識すること
最後にさらりとまとめましょう。
主人公であること、すなわち「主体的であること」とは
いま自分が関われることを、ただ淡々と一所懸命にやるってこと
これに尽きます。
あなたは昨日、主人公でいられましたか?
もしそうでなかったら、今日一日だけ、試しに主人公になってみましょう。