魂の暦・夏至へむかう光のピーク

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魂の暦・夏至へむかう光のピーク:溶けた私を探しにゆく

前回のブログでは第3週の「冬の間に内省して育てた自己を春から夏にかけて一旦宇宙へ明け渡す」その春の兆しについて書きました。

宇宙と自己の呼応している手がかりが、魂の暦の読み方なんじゃないかと思いましたがいかがでしょうか。

今回は、自己をその宇宙へ明け渡す夏至までの週を取り上げてみたいと思います。

光に導かれる「自我の手放し」:夏至までの3週間

この3週は本当に明るくてある意味でクライマックスじゃないかなと思います。

“光に引き寄せられ、自我を手放し、それでもなお自分自身を探し続ける”という、魂の旅の大きな転換点が描かれているように感じるからです。

それに何よりも、読んでいて美しいし元気が出てきます。これも、この時期の詩の魅力の一つではないかしら。

第10週──太陽に吸い上げられるように

夏の空へと天高く太陽の本質が輝きながら上っていく。私の人間的な感情を限りない空間の彼方へと連れてゆく。微かに予感に満たされながら私の中で動き出す感性、まるでぼんやりと私に告げるように。「いつかお前は気づくだろう。崇高な神的存在が今まさに、おまえを感じていることを」

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

これを読んだとき、私の中で、このようなイメージが思い浮かびました。

意識的に自分を開いて拡張させていくのではなく、まるで太陽に吸い寄せられるように、感情や自我が高く引き上げられていく

ちょっと関係ないかもしれませんが、ワタシが夏の苦手な理由が、まさにこれでした。(苦手といっても、以前の話で今はそんなに苦手ではないです)

夏の暑さは裸になっても暑いけど(自分ではどうしようもできない)、その反対に冬の寒さはたくさん着ることで解決できる(自分でどうにか対処できる)というのが、わたしなりの表現です。

もしかしたら、ここにも夏には自分の意志ではどうしようも対処できない何かが隠れているのではないかと思ったりします。


読書会で使用しているマンフレッド・クリューガーの解説には、このように書いてあります。

夏の暑さと一体になっている私たちは神の存在を感じることができても認識することができません。

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

私たちは、一体になりすぎると、感じることはできても認識することができない、ということなのです。

認識は離れてはじめて行えるものです。

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

この文章に触れることで、改めて、「感じること」と認識することには時間差(距離感)が必要だとわかりました。

いままでは、「感じている」と認識していることから、感じていることと認識は同時に起こっていると思ってしまってました。

でも、ここで大きなポイントとなるのは、「感じている」ということをは認識はしているけれど、感じていることの内容を理解して認識するのは時間や距離が必要だということです。

詩では、このようにも述べられています。

いつかおまえは気づくであろう
崇高な神的な存在が今まさに、おまえを感じていることを」

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

この表現は「今はわからなくてもいいから、今はその感覚に委ねていいよ」「時間差で認識できるからね」と私たちを勇気づけてくれているのかなと感じました。

第11週──空に溶けていくとき

輝く太陽の時間の中で大いなる叡智をおまえは認識する。世界の美しさに身をゆだねおまえのなかでおまえを感じながらみずからを失う人間の自我は広がる世界の自我の中に再び、自分自身を見つけだす。

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

この週のキーワードは、自我を手放すことではじめて出会える〈新たな私〉

解説にはこうあります。

失うと同時に私は広がっていった。小川の中にも、遠くの山々にも私はいる。

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

小さな自我を手放すことで、世界のあちこちに自分の存在が“にじむ”ように広がっていく。それは、“個”の輪郭を失うことで、全体の中の私を知るという体験なのかもしれません。

自然の多い場所に身を置いて、ふと空を見上げたときに、思わず「あーーーっ」と声が出て、手を広げたくなる感覚を味わったことはありませんか?まるで、空に吸い寄せられるような、あの感覚です。

それが、まさに前の週(第10週)の詩編の連れていかれる感情そのものではないかな。

そしてそこに身をゆだねていくと、溶けていった先に自分を見つけるという、とても詩的な夏の感覚が表現されているなと思います。

第12週──「私」から離れて高次の「私」を探す旅へ

世界の美しい輝きが深い魂の底に生きる私の中の神なる力を果てしない宇宙の彼方へと解きはなっていく私自身から私は離れ信頼を持ってただひたすら私自身を探し続ける。世界の光とあたたかさのなかで。

『魂の暦』(マンフレッド・クリューガー・著 / 鳥山雅代・訳)

この詩に触れたとき、私はちょっとドキっとしてしまいました。

私自身から私が離れ、そして私を探し続ける”

この“私”とは、もう古い私ではないのです。光に包まれ、高い場所へと連れて行かれたあとに、新たに生まれてくるより霊的な存在としての私の原型のようなもの。「それを探しましょうね。」と提案されている感じがします。

すべてが光に召喚されて溶けていくこの時期、私たちは一度今までの自己から離れ、再び深く、自分自身と出会い直すのです。

宇宙の理との共鳴

夏至──それは、一年で太陽がもっとも高く昇る時期。ある意味で、古い私が一度死に(天に戻り)、新しい私へと再構成されて、生まれ変わるための霊的なセレモニーなのではないか!そんなふうにも思わされます。

これは、やっぱりクライマックスですよね。

ここで描かれていることは宇宙の理なので、地球に住まう人間にとっては、特別に意識しなくても、もれなく起こっていることなのだと思います。ですが、それを意識することでより効果が高まりますよ、とシュタイナーさんが教えてくれているようです。

『魂の暦』は、自然のリズムに沿った「魂の旅の地図」のようなものかもしれません。その言葉のひとつひとつが、ワタシたちの内側に眠るなにかにそっと働きかけ導いてくれるようです。

おまけ レムニスケート

『魂の暦』には「レムニスケート」の図があります。

太陽の軌跡を一年同じ場所で記録すると、縦に細長い無限大のカタチが浮かび上がります。(アナレンマと調べてみてください)レムニスケートとは、その太陽の高さの変化に合わせて、暦の週の数字が振られている図です。この図を見ながら、なんとなく砂時計に似ていると感じました。

左の図はAIに描いてもらったレムニスケートです。まるで砂時計のようにみえる一年分の空に描かれた太陽の軌跡です。

AIへの指示が上手く届かず(涙)、イラスト内の文字などは不正確です。

あくまでも参考程度に、このようなものだな、と見てください。

正確な軌跡は、上記にもあるように、『アナレンマ』と調べてみてくださいね。

この広大な砂時計の、宇宙と地球の間でワタシたちの感情が砂のように行ったりきたりする壮大なイメージが浮かんできます。

夏至は、私たちがその大いなる循環の中の一部であると同時に、循環そのものであることを思い出す美しい夢の時間なのではないかと思います。

太陽が一番高く上日に夢見るように呼吸をしてみませんか。

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