「整えようと頑張っているのに、整わない」
セッションにいらっしゃる方から、よくこんな言葉を聞きます。
「自律神経にいいこと、いろいろやってるんです。呼吸法も、お風呂も、朝の散歩も。でも、その時は良かった感じがするのですが、それが続いている感じがしなくて、、、」
ワタシのことを見つけてコンタクトしてくださるみなさんは、本当によく勉強されています。勉強会に出かけたり、自律神経の本を読んだり、動画を見て、アプリで睡眠を記録したりと、「もう大体のことは知っています」と言えるくらい、情報は持っていらっしゃいます。それなのに、氣がつくとまた、肩に力が入っている。夜中に目が覚めている。
これだけやっているのに変わらないのは、やっぱり努力が足りないからでしょうか。
ワタシは、全然そうは思いません。そもそも「整えよう」という頑張りが向かう先には、自律神経はいないからなのです。
自律神経は「整える」ものではなく「整う」もの
いきなり結論めいたことを言いますね。
自律神経は、整え「る」ものではなく、整「う」ものです。
「自律」という名前のとおり、この神経はワタシたちの意志から独立して働いています。心臓の速さを意志で変えられないように、汗を意志で止められないように、自律神経は命令を受け付けない場所にある。だから「整えよう」という命令も、全く届きません。
自律神経は、ワタシたちの命の最前線で情報を集めながら、歩きやすい道を先回りして整えてくれている——いわば前衛部隊のようなものです。
その前衛部隊に向かって、後ろから「そこは危ないんじゃない?」「この道あってるの??」なんて口を出したらどうでしょう。うるさい!何も知らないくせに!ってなりませんか?(笑)
「整えよう」という頑張りは、カラダにとっては、この後ろからの口出しに近いのかもしれません。
もちろん、前衛部隊の判断が現状とそぐわなくなる時もあります。それが「自律神経の不調」と呼ばれる状態です。とても大変な目にあった、深く傷ついた——実際の命の危険だけでなく、心が危険を感じた出来事も、前衛部隊は「忘れないように」と記録します。だから、本当は危険ではない場面でも警報を鳴らして身構えてしまう。これが、日々の生きづらさの元になります。
ただ、ここで思い出してほしいのです。警報が鳴りやすいのは、故障ではありません。あなたを守り続けてきた記録が、忠実に働きすぎているだけ。だから必要なのは、部隊を叱って黙らせることではなく、「もう安全だよ」と少しずつ教え直すことです。
ワタシたちにできるのは「整えること」ではなく、「整うための条件をそろえること」なんです。
アクセルとブレーキと、もうひとつの「凍りつき」
ここで少しだけ、身体の話をしますね。
自律神経にはアクセル(交感神経)とブレーキ(副交感神経)がある、という説明はよく知られています。日中はアクセルで活動して、夜はブレーキで休む。このシーソーのようなバランスが「自律神経のバランス」と呼ばれるものです。
ただ、最近の神経科学ではもう一つの状態が注目されています。ポリヴェーガル理論という考え方が示した「凍りつき」です。難しい言葉はこれっきりにしますが(笑)、要するに、アクセルを踏み続けて限界を超えると、身体はブレーカーを落とすように動きを止めてしまう、ということです。
休日に一日ゴロゴロしていたのに、ちっとも回復した感じがしない。誰でも一度は経験があるのではないかな。まさにあの状態です。
あれは「休んでいる」のではなく、電源が落ちているだけ。だから充電されないのです。頑張りすぎている方の「休めない」は、ブレーキが下手なのではなく、ブレーカーが落ちるまでアクセルを踏むことが癖になっている状態といえるかもしれません。
安全かどうかは、頭より先にカラダが決めている
では、その条件とは何か。
一言でいえば「安全」です。
ワタシたちの神経系は、いまこの場所が安全かどうかを、休みなく感じ取っています。面白いのは、その判定をしているのが理性とかの頭ではないということ。理屈より先に、カラダが決めているのです。
頭では「大丈夫、安全だ」とわかっているのに、なぜか肩がすくんでいる。呼吸が浅くなっている。そんな経験はありませんか? あれは、頭の判定とカラダの判定がずれている時です。そして自律神経が従うのは、いつもカラダの判定のほう。
神経系を整えるとは、意志で自律神経に命令することではなく、カラダが「ここは安全だ」と感じられる条件をそろえることです。呼吸法もお風呂も散歩も、本当は全部この「条件づくり」の道具でした。うまくいかなかったのは、道具のせいでも、あなたのせいでもなく、「整えなければ」という頑張りそのものが、カラダにとっては小さな警報になっていたから。安全の条件づくりは、頭からではなくカラダから始めるほうが、ずっと近道。
だからこそ、身体からのアプローチなんです。
身体から神経系にアプローチする、4つの道
ワタシは20年以上、この「カラダから整う」という一つのことを、いくつもの角度から探求してきました。体育が苦手だったワタシが初めてのヨガクラスで「頭とカラダが一致する」体験をした日から、ずっとです(その日のことは言葉が止んだ日の記事に書きました)。
いま、ワタシの手元には4つの道があります。別々の商品のように見えて、実は同じ山を別の登山口から登っているだけ。ここで一枚の地図にしておきますね。
観る道——仰臥瞑想・ヨガニドラー。 意識の側から、自分の内側に静かに耳を澄ませる道です。眠りと覚醒の境界を意識的に歩くヨガニドラーは、「休み方を忘れたカラダ」が休息を思い出すきっかけになることがあります。詳しくは「「眠れない」夜のためのヨガニドラー」へ。
委ねる道——TRE。 意識では届かない深い緊張を、カラダに本来備わっている神経性の震えにお任せして解いていく道。主導権を頭からカラダへ渡す練習です。「身体が『知っている」に詳しく書いています。
遊ぶ道——ippon blade®。 スポーツ用に開発された特殊な一本歯下駄に、ただ乗る。それだけでバランスを司る脳の働きが呼び覚まされて、考えるより先にカラダが動く時間が生まれます。真面目に整えるのではなく、遊んでいたら整っていた、という順番の道です。乗るだけで何が起きているのかは「一本歯下駄と小脳の話」に書きました。
暮らす道——在り方としてのヨガ。 ポーズの完成を目指すのではなく、日常の座る・立つ・食べるなどを観察の練習にする道。ワタシが20年近く前から「在り方としてのヨガ」と呼んできたもので、他の3つの道で受け取った変化を、毎日の暮らしに根づかせる土台になります。
4つも要りません。どれか1つの登山口から入れば、山はつながっていますから。
どの道から始めればいい?
よく聞かれる質問です。正解は人によって違うのですが、個人的な見立てを言いますね。
頭で考えることが得意で、考えすぎて疲れてしまう方ほど、ワタシは「委ねる道」か「遊ぶ道」から勧めたいと思います。観る道(瞑想)は素晴らしい道ですが、考えるのが得意な人が最初に入ると、瞑想まで「上手にやろう」と頑張ってしまうことがあるからです。
反対に、じっとする時間がそもそも怖いくらい走り続けてきた方は、横になって体に寄り添うだけの仰臥瞑想・ヨガニドラーが入口として優しいかもしれません。
どれを選んでも、合言葉は同じです。頑張って整えない。カラダが整うのを、邪魔しないでそばにいる。
ちょっと、試してみたくなりませんか?
Q&A
Q1:どのくらい続けたら変わりますか?
A:初回から「脚が軽い」「その夜よく眠れた」という声をいただくことがあります。ただ長年の癖は少しずつ緩むものなので、数ヶ月単位のゆっくりした変化を想定していただくのが安心です。
Q2:通院中・服薬中でも大丈夫ですか?
A:必ず主治医にご相談の上でご参加ください。ここでご紹介したワークは医療に代わるものではなく、治療と並行できるかどうかの判断は専門医に委ねるのが原則です。
Q3:4つ全部やらないと効果がないのでしょうか?
A:いいえ。どれか1つで十分です。4つは同じ「神経系が整う条件づくり」を別の入口から行っているだけなので、ご自身に合う道を1つ見つけることの方が大切だと思います。
Q4:運動が苦手でもできますか?
A:できます。ワタシ自身、体育が大の苦手でした(笑)。ここにある4つの道はどれも、運動神経や柔軟性を競うものではなく、感じることが中心のワークです。
なお、強い不調や精神的なお悩みを抱えている方は、まず専門医の診察を受けてください。この記事は医療情報ではなく、実践の入口をご案内するものです。
「整えない」練習をする場所
この夏、長野県原村に、週末だけの小さなリトリートの場「ヒルナノーグ」を開きます。八ヶ岳の高原の空氣の中で、この記事に書いた4つの道をまとめて体験できる2日間を準備しています。
とはいえ、いきなりリトリートでなくても大丈夫。今夜、布団の中で「整えようとするのを、やめてみる」。それだけでも立派な一歩だと思います。
ご質問や「私はどの道から始めるのがいいですか?」という相談は、公式LINEから氣軽にどうぞ。あなたの神経系がいまどんな状態か、一緒に地図を眺めるところからご一緒します。



