まだまだ続くよ、Kripaluシリーズ
全米最大級のヨガ・瞑想をはじめとしたホリスティックセンター、クリパル。
ここでボランティアプログラムの一員としてコウヘイと私は6か月間滞在しました。
ボランティアといっても誰でもほいほい参加できるものではありません。
申請書を郵送して行われる書類審査、電話を使った面接、それから私たち日本人にとっては、アメリカのビザ取得といった3つの関門がありました。
このうちの1つ目、書類審査。
これを書いているとき、「それじゃ日本人的思考だから通らないよ」という助言をもらいました。
私たちはそれを受けて、記述をどう変化させたのか。そんな経緯を書いていきます。
彼との出会いは、別のボランティア中
そのころ、私たちはアイルランドの辺鄙な島のカフェでボランティアをしていました。
片付けをしていると、表からちょっと変わった日本語が聞こえてきます。
島のすぐそばに住んでいるという、アメリカ人でした。
彼は、日本が好きで日本に住んで、働いていたこともあったといいます。
なので、私たちがボランティアとして滞在していることを聞きつけて、訪ねてきてくれました。
そして、久しぶりにコウヘイ以外の人とかなりいい感じの日本語の会話をしました。
話してみると、彼は英語・日本語の翻訳を仕事としてやっているとのこと!
Kripaluのウェブからダウンロードした申請書をどうやって仕上げたらいいのか、を悩んでいた私たちにとって、まさに渡りに船でした。
この出会いが、どれだけすごい幸運で嬉しかったことか!
日本人的謙遜は伝わらない
申請書には動機を書くだけでなく、ヨガ的な背景や、集団行動をする際に意識することなど、書く項目がとても多くありました。
私たちは、カフェからあまり動けなかったので、彼がときどき遊びにきて私たちの英語をチェックしてくれる、そんなやりとりを繰り返しました。
彼は日本に長く滞在していたということもあって、日本人の考え方をかなりよく分かっていました。
私たちが彼から指摘を受けた部分をいくつか紹介します。
私がやったNG
私がやったNGで覚えているのはコレ。
[aside type=”normal”]英語はあまり得意でありません[/aside]
初っ端からですが(笑)
正直すぎたんですね、これ。素直なことを書いた方がいいと思ったんですが、逆の立場からみればちょっと分かります。
日本語が得意ではありません、と書いてあったら、採用する気持ちは下がります。
なので、これはこう変わりました。
[aside type=”warning”]語彙は少ないですが、コスタリカへヨガのプログラムを一人で受けに行き、ほぼ理解していました。コミュニティに属する中で、英語も磨いていきます。[/aside]
コスタリカはスペイン語が公用語なのですが、私のいたエリアはアメリカ人が多くいました。また、私のヨガの先生もアメリカ人なので、授業はほぼ英語。
それを書きながらも、あんまり得意じゃないよ、というアピール。これは、この後に出てくる面接の伏線でもありました。
コウヘイがやったNG集
[aside type=”normal”]ヨガの経験はあまりありません。[/aside]
これも私の英語と同様。正直すぎたんですね。なので、
[aside type=”warning”]ヨガは初心者ですが、ヨガの智慧を妻から日々教わり、日常生活に生かしています。[/aside]
実際に、彼にはあまりアーサナを教えたりはしていません。ですが、彼の話す内容が私の考えるヨガ的な知恵とかなり合致しているので、こうやって書いておくことにしました。
[aside type=”normal”]どの仕事も初めてですが、精いっぱい頑張ります。[/aside]
コウヘイは完璧主義的な部分があるので、ボランティアとしてでも“仕事”をする以上は、プロ経験を書くべきと思っていたそうです。
[aside type=”warning”]掃除は得意で、家では妻がもういいというレベル以上に掃除をしています。特に水回りの掃除が好きで、細かいところまで1時間もやっていたりします。[/aside]
アメリカ人としては初めてと書いてしまうと、できないやつ、と思われてしまうそう。
なので、自分が日常生活でやっていることで、こだわりがあるものを強気で書けばいい、とのこと。彼の場合は、本当に1時間もお風呂場であれこれ掃除してたりするので、プロレベルにひけをとらないかもしれません……。
必要なのは、意識改革
これは日本での履歴書も同じかもしれませんね。
私自身、ヨガ講師になってから長いので履歴書をどう書いたらいいのか忘れてしまいましたが。
カンタンにいえば、こういうことです。
[voice icon=”https://kaonyoga.com/wp-content/uploads/2015/07/troubled-lady.gif” type=”l”]何もできない私ですが、一生懸命やります[/voice]
という視点から
[voice icon=”https://kaonyoga.com/wp-content/uploads/2015/07/happy-lady02.gif” type=”r line big”]私ってこんなことができちゃうんだよ、すごいでしょー![/voice]
こういう視点へ変化させる。
例えていうなら、思春期のモジモジ感ではなくって、幼稚園生や小学生低学年の、みてみてー!という感覚です。
それって謙遜?それとも・・・?
謙遜って、とにかく何でも低く言えばいい感じになっていますよね。
でも、実際のところは違うんだと、この工程を通じてわかりました。
本来の謙遜とは、自分の力を把握して認めた上で、それを大っぴらにしないこと
っていうことなんじゃないかと思います。
コウヘイが言ってたことから、考えてみる
僕がやってた謙遜する態度は、自分の力や今までやってきたことをきちんと把握せずに、自分のことを低く言うようにしていたみたい。
だから、この申請書を書くいていて、自分を認めるということにつながった。
こんなことを、コウヘイが封筒を投函した後に言っていました。
文字で表現すると分かりにくいかもしれませんが、挑戦してみましょう。
- 本来の謙遜
自分の能力→(的確に把握する)→(謙遜というヴェール)→自分の力を下げた表現
英語をチェックしてくれたアメリカ人の彼が言っていた「強気なことを書く」というのは、このヴェール部分がないということなんですよね。まぁ、たまにヴェールでなくって、拡声器にしちゃう人もいそうですが。
- コウヘイのやっていた謙遜
自分の能力→(謙遜というヴェール)→自分の力を低く見る表現
さっきはあった、【的確な把握】という部分がないんです。
実は、これってかなり重要。
自分の能力を的確に把握していない=自分のことを認めていない、ということです。
認めていないということは、自分のことがよく分かっていないということです。
自分のことがきちんと分かっていないと、人の意見に左右されたりして、自分を見失っちゃいますからね。
そういうときには、こういうのが必要になるってことです。
[kanren postid=”575″]
なので、外国への申請書を書くときには、謙遜というヴェールをはがせばいいだけなんだということがわかりました。
何も、強気で書く必要はなかったんですね。自分の力量さえ分かっていれば。
最後に必要だったこと
こうして、私たちからすればかなり強気な文章を書き上げました。
あとは翻訳者の彼の英語チェックです。
申請書用のカタい言葉に差し替えてもらったり、よりネイティブらしい表現に変えてもらったり。
やっぱり、ネイティブは使う言葉が全然違いますね。添削から帰ってきたものをみて、さすがだー、と思っちゃいました。当たり前ですけど。
そうして、ダウンロードした申請書に清書して郵送。申込期限ぎりぎりだったので、プログラムの連絡先に、コウヘイがメールをしました。アイルランドから送りましたので、もしかしたら少し日にちが遅れてしまうかもしれません、と。
ダウンロードした後の段階から、期限についてはあれこれやりとりをしていたので、この辺りはすんなりと理解していただけました。
こうして、私たちは次に待ち構えるVISA取得へと進んだのでした。