300時間連続!超集中型トレーニング!!
2月後半から3月後半まで4週間バリでのヨガ合宿に行ってました。
それは、全米ヨガアライアンスに認定されたヨガ講師のためのティーチャートレーニング。しかも、参加者はわたし以外、全員アメリカ人!
その濃ゆい合宿から帰国して約10日が経ち、ようやく日本に馴染んできました。(笑)
合宿中に体験したことを、記憶が鮮明な帰国後すぐにまとめてブログで紹介したいなーと思っていました。
ですが、色々ありすぎてどこをどんな風に説明したらいいのかわからなくて、なかなか記事にすることができませんでした。
そこで、うまく説明することをすっぱりとあきらめて、こんなことがありましたよーとお知らせするように体験記スタイルで3つ書きます。
なので、読んだ後には「それで、どーした??」とつっこみたくなるかもしれません。
けれど、この体験記どこかに何か響くかもしれないと思って、ツッコミの可能性も承知で書いちゃいます。
そうしないといつまでたっても書けないーー。
沈黙の中で起こった正体不明の邂逅?!
まずハイライトの1つめ。
この合宿の中で3日間の沈黙をするという瞑想がありました。だれとも話をしないし、目も合わせないし、書いたり読んだりも禁止です。
クラスメニューとしては座る瞑想、歩く瞑想、自然の中での瞑想と、色々な瞑想体験します。
それは、2日目の朝の歩く瞑想の時でした。
裸足で草の上を二歩ほど歩いたところで足の裏から何か上がってくる感覚がありました。
何だろうこれは?って考えているうちに、こころの奥から声がきこえてきました。
「わたしはこれをずっと恋しいと思っていたのよーー」
その声と同時に涙が出てきて止まらなくなりました。
それが起こって初めて分かった自分の感覚
言葉で表現のしようのない、このなんだかわからない、足の裏から何かが上がってくる感覚を、ずーっとずーっと待って待って、待ち続けていたということに、初めて氣がついたのです。
そして、それに出会った喜びのようなものがこみ上げてきました。
懐かしくていとおしくて、泣けてきました。
同時になんでこんなことで泣いているのわたし?っていう自分もいます。
でも泣いちゃう。えーーん。
そんな感じでした。
この感覚は、名前をつけたり、呼び方を考えたり、表現のしようがありません。
体験そのもの、としか。
そして、もう一つの体験も、やはり沈黙瞑想の時間におきました。
ヨガの目的「内側の神性と繋がる」の実体験
2つ目は沈黙の3日間、最終日の午前中におきました。
座る瞑想の時間。
いつものように足を組んで座わりました。
骨盤や背骨、腕の位置の心地いい場所を探して、そこにぴったりと合うように置いたら、何かがカチッとはまったように感じました。
例えるなら、クッキーの型抜きのような型にはまった感じ。
まさにその次の瞬間、自分が外側の型になって、中から仏像が出てきました。
飛び出す絵本みたいな感じ。自分のからだが2Dから3Dになったみたいです。
ヨガの目的と意味をからだとこころで感じた瞬間
「なんかおもしろーっ」て、その感覚をじっくりと感じながらしばらく仏像でもある自分を味わっていました。
あのカチッとはまった感覚はおもしろかったです。
からだを整えるということは、アライメントを整えること。それはつまり、本来からだがあるべき型の一つになるためのものなのかもしれません。
しっかりと整えると波動が整って、内側の神的部分がたやすく出てくるのかもしれないなー。
あの体験を振り返ると、そんなことをふと思います。
「からだの内側にある神性とつながる」ことがヨガの目的の一つだと常々考えている私ですが、もしかすると、中から仏像がでてきた体験はその具現化だったのかもしれません。
そうそう、神性といえば、次に紹介する体験はもっと不思議なものでした。
あれは氣のせいだったのか、本当にあったことなのか
それは、この合宿のほとんどのメニューが終わった時に、とある小さなヒンドゥーの寺院にみんなで出かけた時のこと。
ヒンドゥー教の主な神様であるブラフマン・ビシュヌ・シヴァの3つの石像がある、その前の石畳の上に座わりました。日本の神社でいう宮司さんにお祈りをしてもらうためです。
お祈りが始まる前に、ガイドさんたちがお供えや浄化のためのお花やお線香を準備をしてくれていました。
その間、わたしたちが座っている少し上のあたりを風が後ろからふわっと通り過ぎていきました。
その風をふんわりと感じていたら、あれよあれよと涙が出てきます。
風は後から後から、しばらくの間ふき続けていました。
まるで、ここに来たことを祝福してくれているみたいだと感じました。
そして、その風に呼応するように、わたしの奥の声は、ここにこうしていられることに対するありがたさでいっぱいになっていきました。
一筋の風が呼び覚ました、古い縁
さらに面白いことに、うっすらとですが、懐かい感覚も覚えました。
もしかしたら、わたしは以前ここにいたのかもしれない??
涙がとまらないまま、お祈りが始まりました。リンリンと鈴の音が響き渡ります。
お祈りする人はわたしたちの後ろにいます。
声も聞こえてこないし、聞こえたとしても、きっと何も意味はわからないだろうと思うのに、またまた涙が出てきます。
「ありがとう」とこころの中で何度も何度も繰り返しました。
それを感じたのは私だけではなかった
お祈りが終わらないと写真を撮ることが許されない寺院だったので、お祈りが終わってから、その感覚を深く味わうようにして写真を撮りました。
帰る時、この寺院に連れてきてくださった方が、ひとりだけ泣いていたわたしに声をかけてくれました。
「どうでしたか?」
わたしはこれこれしかじかと話をしたら、その方も、今回はいつもと違った感じがしたと話してくれました。
「何か来たと思ったけど、きっとあなたのところに来たのだね」と。
わたし一人がセンチメンタルな気分になって泣けてきたのではなかったんだなーと思うと、さらにありがたい気持ちになったのとうれしかった感覚を今でも覚えています。
自然の中で自分というホームに還った日々
今回のバリのハイライトはなんといっても、自然の何かに触れたということかな。
からだの自然が、よりおおきな自然の中で安らいだというかホームに戻ったとも言えるかもしれません。
そして、そうしたからだの体験はこころを感謝の気持ちでいっぱいにするのだなってこと。
理屈は色々説明できるかもしれないけれど、ひとまず(ヨガ講師のわたしとしては)ヨガはやっぱりすごいぞー!ってことでこの記事を終わりにします。