天意(あい)に委ねる生き方:自然の流れに従う米づくりとヨガの教え

思い通りにならない米づくり体験:焦りと内省の始まり

「それはただのバカだぁ。」

この言葉を言われた瞬間、胸の真ん中がふっとゆるみました。

それはバカにされたという感じがしないだけでなく、この言葉によって、それまで重くのしかかっていた「何とかしなきゃ」「間に合わせなきゃ」という焦りがほどけたからです。

実際、うっすらと涙が出ちゃいました。

今年で5期目となるお米づくり。山形では4回目です。

東北の春はもともと遅いけれど、今年はとくに寒さと雨が続き、目の前にある苗が育たないことがずっと気がかりでした。

去年は田植えのタイミングがズレてしまって苗が育ちすぎ気味になり、そのせいか種籾の栄養が切れてしまい、田植えの後も苗はしばらく元気を取り戻せなかったという経緯がありました。

今年はその反省を活かして、早めに種をまいたのです。

目次

米づくりから学んだ「天意」という視点

計画通りに進まない現実と「天意」の気づき

ところが、今年は低温が長引き、天候も悪かったため、苗の成長は遅れたまま。結局、田植えの前にまた種籾の力が尽きかけているような状態になってしまいました。

人間が組み立てたスケジュールや理屈なんて、天の氣にはまるで通じない――そんな考えが浮かんできます。

そのとき、時々使っていた言葉が思い浮かびました。
「愛」という漢字を「天の意志=天意(あい)」として表現するということです。

「天意」とは何か?人間的な愛との違い

天意(あい)とは、人間的な「愛」とは違う、もっと大きな流れとしての“意図”や“はからい”のようなことを指します。優しさや慈愛というよりは、必要なことが起こるように組まれた自然の運びというようなものです。

それはときに厳しく感じられても、そこには人間では測り知れない「意味」があるのだと感じています。

自然への傲り?米づくりで直面したエゴの存在

冒頭の言葉は、ワタシが育てているお米を心配している姿をみて、お米づくりの先生がくれた言葉。

「それはただのバカだぁ」

この言葉を文字だけでみれば、ひどいことを言う人だなぁと思われるかもしれません。

けれど、この言葉は、私の中の人間的なエゴ――「こうあるべき」「こうしたい」という思い込みを、やさしく笑い飛ばしてくれたようでした。

思い通りにしたい気持ちと力み

努力や工夫ももちろん大切だけれど、それが「自然をどうにかコントロールしよう」とする傲りになっていないか。天意に耳を澄ませるのではなく、自分の都合だけを押し通そうとしていないか。

無理なことには、力みが生じます。力みがあると柔軟性が損なわれ、それに対してもっと頑なに押し通そうとしてしまう。

米づくりは「毎年が一年生」ともいわれています。どれだけ経験を積んでも、“思いどおりにいかないこと”を受けとめる器が問われている気がします。

そのたびに、私のエゴと天意との“あいだ”にあるものに、氣づかされているのです。

エゴを否定しない。天意と響き合う「在り方」を探る

けれど、だからと言って「エゴは捨てるべきだ」「無我にならなければならない」ということが言いたいのではありません。

エゴとは、人間として生きるために必要な“輪郭”のようなものではないでしょうか。

「こうしたい」「こうなりたい」と願う力は、生きていくうえでの目標にもなり、そこへ向かう推進力でもあります。これがなければ、究極的に言えば、種をまくことすらできないのです。

ただ、そのエゴがあまりにも強くなりすぎてしまうと、天意(あい)――自然の流れや、いのち全体の調和――から少しずつ外れていってしまう。

だからこそ、「エゴをなくす」ことよりも、エゴと天意が響き合うような“在り方”を模索していくことが大切なのではないかと思っています。

米づくりと重なる「在り方としてのヨガ」の教え

これは、ずっと探求してきた『在り方としてのヨガ』のテーマとも重なることだなと改めて思いました。

自分という命のかたち(個性)を大切にしながら、それがより大きな流れと調和していくように、内と外のあいだを丁寧に感じとっていくこと。

頑張りすぎず、委ねすぎずというバランスを保つこと――それこそが、調和を体現するということです。

個性(エゴ)と全体の調和:ヨガが示すバランス感覚

“こうなりたい”という個の願いが、“大きな生命を動かす”天意と重なっていく時間。それは、まさにヨガの実践そのものだと感じています。

今年の米づくりも、そのことを学ぶメソッドの一つなのだと思います。

では、具体的に何を学んでいるのか。

天意に委ねる生き方へ:謙虚さと祈りという学び

今までワタシの中で出会ってきたエゴの変容は、「謙虚さ」と「祈り」です。

それは、自分の思いや計画を持ちつつも、同時に、それがどんなふうに天の流れと響き合うかを、じっと見つめて待つこと。

自然の前では、どれだけ経験を重ねていたとしても、それが何の意味も持たないように感じてしまうようなことが起こります。

けれど、それは自然からの叱責でもなく、ただ静かに「まだだよ」と教えてくれるような、大きなまなざしのようなものではないでしょうか。

謙虚さとは、自分の力を知ること。
祈りとは、自分を明け渡すこと。

このふたつが、少しずつ自分のものとして育まれていくとき、天意と自分の意志が重なっていく道が、どこかに続いているような気がしています。

そして、それをこのお米作りに限ることなく、生活の色々な場面で学んでいくことをヨガだと思っています。

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