言葉が止んだ日──体育が苦手だったワタシが、初めてのヨガクラスで出会ったもの

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中学生の頃、近所のお姉さんが雑誌のアンアンをくれました。

それにはヨガ特集が組まれていた号でした。そのページを開いた瞬間、頭の中で「ヨガやってみたかったのよー」という声が聞こえました。自分でも意味がわかりません。やったこともないのに、なぜ「やってみたかった」なのか。

でも、その声はとてもクリアだったので、すぐに誌面の写真を真似してやってみたんです。結果、頭が痛くなりました。(笑)

なので、ワタシにはヨガは合わない。と思ってその雑誌を閉じて2度と開くことはありませんでした。今思えば、ですが、多分呼吸がまったく足りていなかったのだと思います。けれど当時のワタシには、そんなこと考えもつきませんでした。

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30歳、戸塚のスポーツクラブで

それから十数年が経ちました。

当時住んでいた最寄駅にあったスポーツクラブ「エグザス」に通うようになって、少し驚いていました。走ったり泳いだりすることが、思っていたほど嫌じゃなかったからです。

子どもの頃から運動が嫌いだと思ってました。体育の成績はパッとしないし、先生はできなくても努力は認めますよーと公言していましたが、結局は、できる・できないで評価されます。それがなんだかなーと感じていたし、体を動かすこと自体に楽しみを感じることができませんでした。けれど成人してスポーツクラブで一人で走っていると、誰にも評価されることはありません。ただ動くだけ。自分の呼吸音が聞こえる自分だけの世界。それは全然嫌じゃなかったんです。

ここで「運動が嫌だった」のではなく、「評価されることが嫌だった」ということに、30歳近くなってようやく氣づきました。

そんな時、スタジオのスケジュール表でヨガの字を見つけました。当時はまだ、ヨガクラスは週に1回だけ。今のように専門スタジオが街にあるような時代ではありません。あの中学のときの雑誌のことを、ふと思い出して、もしかしたらプロの指導のもとでやってみたら違うかもしれないって思いました。

同じアーサナを、2回繰り返す

先生は小柄な可愛らしい女性でした。

見かけとは違って、淡々と必要なガイドだけをする方で、余計なことを一切話さないというスタイルでした。そして、一つのアーサナを必ず2回繰り返す進め方でした。

これがどれだけ貴重なことだったか、当時のワタシにはわかっていません。同じことを2回やるなんてつまらないと感じる人もいるかもしれません。でも振り返ると、この「2回繰り返す」という構成こそが、ワタシを身体へに氣づきの体験へ連れていってくれたのだと思います。

1回目と2回目では、同じことをしているのに体感が違います。同じ体勢を取っているのに、内側で起きていることがまったく違うのです。先生は何も説明しません。ただガイドだけ。だからこそ身体は雄弁に「ここが、さっきと違うよ」と教えてくれます。ヨガとは、ポーズを完成させることではなくて、この「差」を感じる時間そのものなのではないか──と、ワタシは今でも思っています。が、これがワタシにとっての「在り方としてのヨガ」の出発点でした。

専門用語も哲学も、何も知らないワタシが、ヨガというツールで身体で何が起こっているかをそのまま見せてくれたクラスでした。

内側が、うっすら真っ白になった

ガイドに従ってアーサナをして、休んで、また同じアーサナをして、休んで。

それを繰り返しているうちに、氣づいてきました。

頭の中の言葉が、止んでいるー。

思えば(言葉がなくなってからわかったのですが)、ワタシの頭の中はいつも言葉でいっぱいでした。その状態があまりにも当たり前すぎて、自分で「詰まっている」とすら思っていませんでした。けれどそのとき、初めて、言葉のない世界にいたんです。

説明が難しいのですが、それは頭の中が、うっすら真っ白になっているような感じでした。

そして、なんとも言えず心地よかった。外側もうっすら白い霧に包まれているような柔らかな感覚もありました。

子供の頃からずっと、自分の感覚と他の人の感覚は違うのではないかなぁと感じていました。同じ景色を見ていても、同じ場所にいても、自分が感じているものを友人たちと共有できている氣がしませんでした。それは静かな孤独として、ずっとワタシの中にあったように思います。けれどその時間は、ワタシは「感覚そのもの」でした。誰かと共有する必要も、言葉にする必要もない。ただ、内側と外側が静かで、白くて、心地よい。

走ったり泳いだりするとなんとなくそんな感じになるなーとジムに通い始めてから思ってました。でもそんな大変ことしなくても、こんなふうに頭の中が軽くなることがあるんだとびっくり。しかも、それはもっと深く、もっと静かで……。そんな初めての体感に感動していました。

階段で先生を呼び止めた日

その日は、先生にはすぐ声をかけられませんでした。何が起きたのか、全然言葉にできなかったからです。しかもこれっきりのことかもしれないし。

1ヶ月か3ヶ月か、それくらい経った頃でしょうか。クラスを重ねているうちに、ヨガの間はあの白い世界で自分の身体のスペースの変化を観察するという感じになっていきました。そして終わった後は決まって頭も体も文字通り洗濯したかのようにリフレッシュされているのを感じていました。ヨガってなんか面白い。でもどうしてこんな風になるんだろう。

ヨガへの興味がムクムクと大きくなり、どうしてもその謎を知りたくて質問して、あるときクラスの後に先生を追いかけていきました。確か更衣室に行くまでの間の階段で立ち話になって、二人とも裸足のままなので階段の床がうっすら冷たかったのを覚えています。

「ヨガが不思議で面白くて、もっと詳しく知りたいんです。何かアドバイスはありませんか?」と聞きました。

ワタシは参考になるヨガの本や何かを教えてもらえたらなーという気持ちで質問したのですが、先生は、来月から始まる講師養成講座のことを教えてくれました。半年・週末・東京・十数万円。

恥ずかしながらワタシはいつも貯金ゼロの人でした。趣味として始めて数ヶ月のものに、その金額は出せないな。でも不思議なことに、その時、手元にちょうどその金額があったんです。

数日悩んで、結局、行くことにしました。「もっと知りたい」という気持ちに勝てなかったからです。

そこから30年以上が経ちました。ワタシは今、長野県原村でリトリートセンターの開業を準備しています。

思えば、これから開くリトリート施設でやろうとしていることは、あの戸塚のクラスでの体験を、別のかたちでお伝えしたいだけなのかもしれません。評価のない場所で、自分の内側に浸りきってみる。そうすると自然に内側の声が止まる場所に到達して、あとはただそれを味わう。

Q&A

Q. 体育が苦手でも、ヨガはできますか?
A. ワタシ自身、体育の成績は上がらない子どもでした。ヨガは「できる・できない」で評価する場所ではないので、むしろ運動が苦手だった人ほど、内側で起きていることに氣づきやすいかもしれません。

Q. 雑誌や動画を見て真似したら頭が痛くなりました。ヨガは合わないということですか?
A. ワタシも中学生のときに同じ経験をしました。多くの場合、呼吸が止まっていたり、力みが強すぎたりすることが原因です。「合わない」ではなく「呼吸が届いていない」だけかもしれません。

Q. 身体感覚がよくわからないのですが、ヨガは向いていますか?
A. 向いています。「わからない」状態から始めることに意味があります。同じ動きを丁寧に繰り返すと、身体は少しずつ違いを教えてくれます。最初から感覚が鋭い必要はありません。

ヨガを始めるきっかけは、人それぞれです。ワタシのように30歳になってから、内側の言葉が止んだ瞬間に出会う人もいます。テルさんのように、長年身体に刻まれていたパターンに、ある日ようやく氣づく人もいます(対人緊張からTREへ──30年抱えてきた身体の話)。

「在り方としてのヨガ」とは、こういう個人的な氣づきの積み重ねの先にある場所です。氣になった方は、こちらの記事もどうぞ(在り方としてのヨガとは何か)。

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著者プロフィール

ヨガ指導者養成(Yoga AllianceE-RYT500)/TRE国際認定プロバイダー/ippon blade®公式インストラクター

2017年出版の書籍『感じるヨガで、』(※)は、「体の声を聞く」ヨガとして静かな反響を呼ぶ。現在は、オンライン・オフラインでポーズの完成にこだわらない「感じるヨガ」やTRE(トラウマ緊張開放エクササイズ)のワークショップを開催し、30代〜50代を中心に「自分を整えたい」と願う人々をサポートしている。(※)amazonのアフィリエイトリンクが開きます

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