この記事は、瞑想を段階でとらえる「瞑想の地図」シリーズの第5回です。前回の一本歯下駄と小脳の話では、乗るだけでカラダの奥が変わっていく不思議についてお話ししました。今回は、その「変わりたいのに変われない」の、いちばん深いところ、頑張りすぎている神経系の話です。
「力の抜き方が、わかりません」
ワタシを見つけてくださる方のセッションでは、かなりの確率でこの言葉を聞きます。
「リラックスしなきゃ、とは思うんです。でも、力の抜き方が、そもそもわからなくて、、」
「ですよねーー。」本当に多くの方が陥っている沼ポイントかなと思います。
力が抜けない、リラックスできないのにはいくつかの原因があります。
まず、神経系がリラックスしたり緩んだりするような状態になってない。身体は生体反応で生かされていますから、どんなに頭でそうしようと思っても、神経がそうならない限りは無理なんです。ごめんなさい。私たちは努力すれば大抵のことはうまくいくと教育されていますが、努力してもうまくいくとは限らないいい例です。
また力を入れているということを理解しなければ、力を入れないということもできないのは当たり前です。なぜなら荷物を持っていることがわからなければ、その荷物を下ろしていいですよと言われても、え??荷物って??ってなります。笑
また、状態を変化させるのにもそれなりのエネルギーが必要なんです。たとえば動いているのを止めるだけと思ってもそれなりにエネルギーが必要なのはわかりますよね。
だからリラックスできない、力が抜けないのは、意志が弱いからでも、努力が足りないからでもないのです。
神経系には、三つの部屋がある
ここで少しだけ、専門的な言葉を使います。ポリヴェーガル理論、といいます。一度だけ使って、あとは家の話に翻訳しますからご安心を。
わたしたちの神経系には、大きく三つの状態があると言われています。家にたとえると、少しだけ見えやすくなるかもしれません。
一つめは、リビングにいる状態。誰かと同じ部屋で、安心して笑っていられる。カラダがゆるんで、呼吸が深いところまで届いている場所です。
二つめは、玄関で身構えている状態。何かあったらすぐ動けるように、靴を履いたまま、肩に力が入っている。頑張っている人の多くは、氣がつくと一日じゅう、ここに立っています。
三つめは、布団をかぶって、動けなくなっている状態。頑張りすぎた人が、ある日ぷつんと、何もできなくなる。あの感じです。
面白いのは、この部屋を「移ろう」と頭で決めても、うまくいかないこと。今どの部屋にいるかを決めているのは、意識ではなく、脳の奥にある小さなセンサーのほうだからです。
力が抜けないのは、守られている証拠
力が抜けないのは、決してダメなことではありません。脳の奥にある小さなセンサーが、「ここはまだ、安全じゃない」と判断して、いつでも動けるように身構えてくれているからです。それは故障ではなく、自分を守るために正しく働いている反応なのだと思います。だから「もっと頑張ってリラックスしよう」とするほど、センサーは「いやまだその前にちゃんと注意しておかなければ、安心できないから」と受け取ってしまう。だから力が抜けないのは、当たり前。順番が、逆なのかもしれません。
「頑張れなくなった」も、同じ地図の上にある
頑張ることが得意な人ほど、ある時期から急に、何もできなくなることがあります。朝、布団から出られない。あんなに好きだったことにも、心が動かない。そしてそれは「怠けている」のかもと、自分を責めてしまう。
でも、それも神経系の地図の上では、ちゃんと意味のある場所です。玄関で身構え続けたカラダが、これ以上は無理だと判断して、いちばん省エネな部屋へ避難した。アクセルとブレーキを同時に踏み続けた車が、やがてエンストするように。壊れたのではなくて、守るために止まった、ように見えているのかもしれません。
頭ではなく、カラダから戻る
では、どうやってリビングに帰るのか。ここが、このシリーズでずっとお話ししてきたことに、つながっていきます。
三つの部屋を移動させているセンサーは、意識(意志)の外にあります。だから「安心しよう」「ここは大丈夫」と唱えても、センサーには届きません。届くのは、カラダからの信号のほうです。たとえばゆっくりした呼吸、手のひらのあたたかさ、柔らかな心地よい声など。センサーはそういう「今は安全だ」という手触りみたいなものを、言葉ではなく、カラダから受け取っていくのです。
TREの神経からくる振動も、ヨガニドラー・仰臥瞑想の深い休息も、ippon blade(一本歯下駄)に乗っている時の今ここへの集中も、入り口はぜんぶ違うのに、向かう先は同じです。「今は、身構えなくても大丈夫」を、カラダに思い出してもらう作業なんです。すぐに効くと約束はできません。それでも、カラダはゆっくりゆるみ始めることが、あります。
ワタシ自身、ずっと「頭」で生きてきた人間です(笑)。体育が苦手で、指令を出す頭と、言うことをきけないカラダで、今思うといつもバラバラでした。
子供の時の話ですが、何かの発表会(お楽しみ会とか演劇部の舞台など)の時、本番にはぐったりと疲れていて体調が悪くなって、当日お休みしてしまうという、今考えるとちょっと困ったちゃんでした。それはいまだからわかるのですが、お家の例えでいうと玄関にずっと立っていて実際に動きもしないけど、来ない敵を想定してあんな感じ、こんな感じとシミュレーションを何百パターンもやって、、本当にやる頃にはエネルギーがなくなってしまってた、ということなのです。
こんな人に、特に届けたい
「休むのが下手」と、自分でわかっている人。一日ゆっくりしても、回復した実感がない人。いいと言われることは全部やっているのに、いつも同じところで止まってしまう人。
そういう人ほど、「カラダに任せる」という時間そのものが、初めての体験だったりします。最初は、ほんの少しのゆるみかもしれません。それでも、自分のカラダが自分のために働いてくれるのを、思い出して、ただそれに寄り添う時間は、「頑張らなくても存在しているワタシ」という感覚を思い出させてくれるように思います。
なお、心の落ち込みや、眠れない状態が続いているときは、まず専門医に相談してくださいね。ここでお話ししているのは、医療に代わるものではありません。
Q&A
Q1:頑張りすぎているかどうか、自分でわかりますか?
A:休んでいるのに肩の力が抜けない、眠りが浅い、というサインが続くときは、玄関で身構えたままかもしれません。頭よりも先に、カラダの緊張が教えてくれることが多いです。
Q2:「何もできない」時期は、無理にでも動いたほうがいいですか?
A:動けないのは、カラダが省エネで守っているサインのことがあります。まず安全とあたたかさを増やすほうが、結果として早く動けるようになることが多いように思います。
Q3:ポリヴェーガル理論を勉強すれば、整いますか?
A:知識は地図として役に立ちます。どこにいるのかがわかることが、安心感の第一歩になるからです。ただ、部屋を移動するのはカラダのほう。知ることと、カラダで感じ直すことは、車の両輪のようなものかもしれません。
Q4:ヨガや瞑想が続かない自分でも大丈夫ですか?
A:続かないのは意志の問題ではなく、いつのまにか頑張る形になっていたせいかもしれません。カラダから入るワークは、「続ける」より「思い出す」に近いものです。
「今、どの部屋にいるんだろう」を感じる二日間を
この夏、長野県原村に、リトリートの場「ヒルナノーグ」を開きます。ケルト神話の理想郷から名づけた、小さな宿です。八ヶ岳の高原で、頑張り続けたカラダが、いちばん深い部屋へ静かに帰っていくような一泊二日を、準備しています。
「自分は今、どの部屋にいるんだろう」。そんなことを、誰にも急かされずに感じてみたい方へ。リトリートの先行案内は、公式LINEだけでお届けしています。「わたしにも合うのかな」という質問だけでも、氣軽にメッセージくださいね。



