「風の時代」という言葉への違和感をあなたは感じていませんか?
こんにちは。
【風の時代】という言葉を聞いて、皆さんはどんな印象を持ちますか?
一時期はさまざまな場面で目にし、耳にしましたが、最近ではあまり聞かなくなったようにも感じますね。
私自身、以前、役所が発行する資料の中でこの言葉を見かけたときには、想像以上に社会に浸透していることに驚いたのを覚えています。
さて、今さらどうしてこの話をするのかというと、実はずっと感じていた違和感の正体が、ようやく自分の中で整理できたからなんです。
「風の時代」と聞くたびに、何かしっくりこない感覚がありました。もちろん、これは単なる私の個人的な言語処理の問題かもしれません。でも、ずっと引っかかっていた「座り心地の悪さ」が、あるとき突然腑に落ちたのです。
その気づきをもとに、カオンなりの「風の時代」について考えてみたいと思います。
「風の時代」とは何か? 地の時代との対比で理解する
「風の時代」とは、地の時代(物質的な価値観が中心の時代)から移行し、情報や知識、精神性が重視される時代と言われています。目に見えるものよりも目に見えないもの、所有することよりもシェアすることが重要視される時代とも言えるでしょう。
「風」を情報の象徴として捉えると、この時代はまさに「知ること」が重要になっていると言えるでしょう。情報が溢れる中で、何を知るか、どう活かすかが問われる時代です。
そもそも「知る」という行為は、単に知識を得ること以上の意味を持ちます。
「知る」ということの覚悟: なぜ私たちは”知る”ことに向き合う必要があるのか
無知は時には罪となることもあります。知らなかった、では済まされない状況も簡単にイメージできます。
一方で、実は、知ることは覚悟を必要とする行為でもあります。知ることの覚悟についてはあまり語っている人が少ないように思いますが、これってとても大きなことなのではないかと思うのです。
なぜなら、一度知ってしまったら、もう知らなかった世界には戻れないからです。
それだけ責任が伴うということが忘れ去られて、知るという行為のみにフォーカスされているのではないかと感じています。
ヨガの本質と「知る覚悟」:自分自身の真実を知る旅
ヨガの本質もまた「自分の真実を知ること」にあります。
それは単なる知識ではなく、自分自身の内側にある真実と向き合い、さらにはそれが宇宙の真理と重なる地点に到達することを目指すものです。
そう考えたとき、ワタシが多くの人が軽やかに使用している「風の時代」という言葉に感じていた違和感の正体が見えてきました。
「風の時代」に問われる「知る覚悟」:あなたは真実と向き合えますか?
果たして、この時代の中で「知る覚悟」を持つ人がどれほどいるのだろう?
ただ情報を受け取るだけでなく、真実を知ることへの責任を引き受ける覚悟が、どれほどの人にあるのだろう?
その問いこそが、ワタシの中で居心地の悪さを生んでいたのかもしれません。
「知る覚悟」を持つあなたへ:ヨガが示す叡智の道
だからこそ、改めて伝えたいと思いました。
「知る覚悟」のある人へ。
ヨガは、その覚悟を持つあなたにこそ、開かれた叡智なのです。
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