「氣づき」の、その先へ 満たすから 満たされる

気づきの、その先へ 満たすから満たされる

”マインドフルネス、という言葉を聞くたびに、ほんの少しだけ、居心地の悪さを感じてきました。

喧嘩を売りたいわけではないのです(汗)。実際にやってみて良いものだし、瞑想の入口としてはとても優れていると思っています。

ただ、なんとなくの感覚なのですが……とても技巧的に思えてしまうのです。

マインドフルネスは、文字通りに読めば「マインドを満たす」こと。心を、氣づきで満たしていく練習です。

怒っている自分に、ただ氣づく。 呼吸している自分に、ただ氣づく。 歩いている足の裏に、ただ氣づく。

たしかに、これはとても大切なことで、これができるようになるだけで生活はとても変化するはずです。でも、本来瞑想が目指しているところへは”最初の一歩”ではないかと、思っています。

なぜなら、そこで氣づいている主体は、まだ「自分」だからです。

目次

なぜ、その先に進みにくいのか

氣づいている自分。観察している自分。

このあたらしい自分は、最初のうちはとても役に立ちます。怒りに飲み込まれていた自分が、「あ、ワタシは今怒っているな」と一歩引いて見られるようになる。これは確かな前進です。

ただ、ここに小さな落とし穴があるように思います。

マインドフルネスは、ビジネスの世界でとても流行しました。頭が冴える、いいアイディアが浮かぶ、ストレスが減る——。そういう「効果」を求めて広がっていったように見えます。

でも、その効果を求めているのは、誰でしょう。 やっぱり「自分」。

だいぶ前ですが、どなたかが書かれていた文章に目が止まったことがあります。

「マインドフルネスは瞑想から一切の宗教的要素を取り除いたものだ」

「マインドフルネスには祈りがない」

これは、確か、それぞれ違う方が発信していて、その時にワタシが感じていた違和感とキッチリではないけれど重なっている気がしたので、記憶しています。

最近、また瞑想について体系化しようと思って、マインドフルネスをその瞑想の段階ではどのあたりと対応しているのか考えてみました。

そうしたらなるほど、タイトルにあるように瞑想の最初の一歩なのだなと思ったわけです。

マインドをフルネス状態で使う時、それを自分のために使っているかぎり、その実践は、自分という存在を強くしていくのではないか。そんなふうに思えてきました。

自我(エゴともいう)が消えていくどころか、「整っている自分」「ちゃんと観察できている自分」という、ちょっと上等な自分が育っていく。もしかしたら、マインドフルネスを真面目に続けるほど、エゴはそっと強くなっていくこともあるのじゃないかなー。

これは、もしかしたら瞑想が上手な人ほど陥りやすい、いちばん上品な罠のような氣がしてきました。(決して誰かを責めているわけではありません。ワタシ自身のことも含まれています)

「観ている自分」を、観ているのは誰?

では、マインドフルネスの先には何があるのでしょう。

ためしに、こう問いかけてみてください。

怒っている自分に、気づいている。——では、その「気づいている自分」を、観ているのは誰?

おもしろいことが起こります。

捕まえようとすると、するりと後ろに退いていくのです。「これが観ている自分だ」とつかんだ瞬間、それはもう”観られたもの”になっていて、本当に観ているものは、また一歩うしろに下がっている。

観る者を観る者を、観る者を……と、追いかけても追いかけても切りがありません。

つまりこれは、より上等な観察者を見つける階段ではない。上へ上へとのぼっていく縦の道ではありません。

フロー、というもうひとつの流行り言葉

ここで、もうひとつ流行した言葉を思い出します。フロー。

没頭していて、時間を忘れて、自分が消えているような状態。これも一時期、とてももてはやされました。

観察している自分が消える、という意味では、フローは確かにそのようなものかもしれません。

でも、フローと、これからお話しする「明け渡し」(サレンダー)は、ワタシの中では少し違うものではないかと思っています。

フローは、何かに没頭することで自分を忘れる状態。登る、弾く、書く——目の前のことに“意識の注意”がぜんぶ食べられていて、その結果、自分が消えています。活動とともにやってきて、活動が終われば、去っていく。忘我とも言えるのではないでしょうか。

明け渡しは、そうではないように思います。何かに没頭しているからではなく、つかんでいる手を放したときに、残るもの。何もしていなくても、起こりうる。こっちは無我と呼べるかもしれません。

そして、おもしろいのはここです。フローもまた、「効果のために」と狙うと、するりと逃げていく。生産性を上げたくてフローを狙う人ほど、なかなかそこに入れません。狙っている自分が、没頭の邪魔をしてしまうからです。

——観ている自分を「もっと観よう」として捕まえられないのと、まったく同じ仕組みのようです。

フローという言葉も流行りましたけれど、本当にあの状態になっている人は、いったいどれくらいいるのかな、と、ときどき思います。

明け渡す、ということ

明け渡し、という言葉は、英語ではサレンダーと言います。日本語にすると「降伏」と訳されることがほとんどです。なんだか、「負けた」みたいな、よくない響きだといつも思ってしまいます。でも、この居心地の悪さこそが、もしかしたらヒントになるかもしれません。エゴは、サレンダーを「負け」だと聞いている(認識している)のです。だから抵抗する。その抵抗している状態そのものが、自分を守ろうとしているエゴの姿なのかも。

明け渡しは、降伏ではなくて、委ねること。力ずくで何かをすることではなくて、握っていた手を、ふっと放すこと。氣づきで自分を満たすのではなくて——もっと大きな何かに、満たされることを許すこと

ワタシは、前に、お米づくりのことを書いた時、「天意(あい)」という言葉を使いました。天の意志、という意味です。人間のはからい(計画、考え)を超えた、大きな流れのようなもの。そして、祈りとは、自分を明け渡すことだとも書きました。

明け渡すというのは、たぶん、この天意に身をゆだねることなのだと思います。

“氣づき”で心を満たしていくのは、まだ「自分が」している仕事です。でも、その自分の手を放したとき——心は、自分より大きな何かに、満たされていく。

満たす、から、満たされる、へ。

このちいさな、たった一文字の違いの中に、ぜんぶがあるような氣がしています。

ゼロになった、雪の上で

それを身体ではっきりと味わったことがあります。

山形の移住期間、横浜育ちのワタシにとって、掘っても掘っても土が出てこないほどの雪は、それだけでニヤニヤしてしまう驚きでした。除雪車も入らない林道に、まだ誰も踏んでいない新雪が広がっている。そんな光景、体験なんてほとんどありませんでした。ある日、その雪の上に、ふと寝転んでみたのです。

それはびっくり。程よいホールド感と、ふんわり優しいフィット感。冷たいとか寒いという予想をしていましたが、全然でした。そして、このままここに居たくなって、それなら!と、シャバーサナ(仰向けに横たわる、いわゆる死体のポーズ)をしてみました。

流石に背面の、雪と接しているところから、冷たさという色が、じんわりと内側へ染み込んできます。それを、暖かく安定したどこかの場所から、ワタシの意識がただ観ています。

不思議なことに、冷たさに対して、ネガティブな感覚がいっさい出てこないのです。

吐く息ごとに力みがほどけて、それに比例するように、満ち足りた氣持ちがどんどん増えていく。やがて、「このまま死んでもいいなー」という考えがふっと浮かんで、同時に涙が出てきました。

恐怖でも、畏れでもなく。ただ、満たされた感覚でした。

これを書きながらも、涙がじわっと出てきそうになります。

あのとき、ワタシは何かをしていたわけではありません。むしろ、つかんでいた“自分”を、雪の上にぜんぶ放していました。ゼロになっていた。そして、ゼロになったその場所が、いつのまにか、何かに満たされていたのです。

氣づきで満たした、その先へ

観ている自分は、「もっと観よう」とするほど、後ろへ退いていく。フローは、「効果のために」狙うほど、逃げていく。明け渡しも、たぶん同じです。「明け渡そう」と力んだ瞬間、それを力んでいる自分が、しっかりそこに残ってしまう。

だから、たぶん、できることはひとつだけ。

ゆるめること

氣づきで心を満たすことから始めて、いつか、満たされることへ。その一文字ぶんの明け渡しを、ワタシは雪の上だけでなく、毎日の暮らしのちいさな場面で、すこしずつ練習しているのだと思います。

うまくいく日もあれば、ぜんぜんダメな日もありますけれど(笑)。

そういう時間を、もし一緒に味わってみたい方がいたら。原村のリトリート施設ヒルナノーグで、その「ゼロ」になる時間を、いつでも準備しています。

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よくあるご質問

マインドフルネスとヨガは何が違うのですか?

マインドフルネスは「氣づく練習」、ヨガは在り方そのものを問う探求です。マインドフルネスはヨガの入口のひとつとも言えますが、ヨガはその先の「明け渡し」まで視野に入れています。

明け渡し(サレンダー)は、どうすればできるようになりますか?

「しようとする」ほど遠のきます。まずは身体の緊張をゆるめることから始めるのが、ワタシが実感している入口です。TREやヨガニドラーは、その助けになります。

リトリートは瞑想の経験がない人でも参加できますか?

はい。むしろ「うまくできない」「眠くなってしまう」という方ほど、身体からのアプローチが効く場合があります。経験不問でお越しください。

著者プロフィール

ヨガ指導者養成(Yoga AllianceE-RYT500)/TRE国際認定プロバイダー/ippon blade®公式インストラクター

2017年出版の書籍『感じるヨガで、』(※)は、「体の声を聞く」ヨガとして静かな反響を呼ぶ。現在は、オンライン・オフラインでポーズの完成にこだわらない「感じるヨガ」やTRE(トラウマ緊張開放エクササイズ)のワークショップを開催し、30代〜50代を中心に「自分を整えたい」と願う人々をサポートしている。(※)amazonのアフィリエイトリンクが開きます

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