「今まで苦しかったポーズが、なんだか簡単にできちゃいました」
レッスンのあと、生徒さんからこんな言葉をいただくことがあります。続けて、「それに、グラグラしなくて前よりも安定しています。」
頑張って完成形に近づけたわけでもないのに、楽になって、しかも安定している。いったい何が変わったのでしょう。
ワタシは長いあいだ、自分のヨガを「完成にこだわらないヨガ」と説明してきました。もう20年ほど言い続けている、在り方としてのヨガの、いちばん短い自己紹介です。
ところがこの言葉、ときどき「無理をしない、やさしいヨガ」「ポーズができなくてもいいヨガ」と受け取られることがあります。
それも間違いではないけれど、ワタシが伝えたかったのは、むしろその先にあることでした。
ポーズをつくらない。ポーズが生まれる条件をつくる。
今回は、ワタシが実際のレッスンで何をガイドしているのか、ひとつのポーズを例にお話ししますね。
ヨガのポーズが苦しいのは、体が硬いから?
ポーズがうまくできないと、「自分は体が硬いから」とか「筋力が足りないから」と考えてしまいがちです。
もちろん、それが関係することもあります。でも、それだけなのでしょうか。
あるポーズを完成させようとするとき、人は自分の知っている動き方を総動員して、その形に近づこうとします。
胸をもっと上げよう。背中をもっと反らそう、と。
そこで顔を出すのが、いつものカラダの使い方です。
頑張って完成形を目指そうとするほど、使える筋肉でどうこうしようとします。無意識なのでしかたないです。
苦手なポーズが苦手なままなのは、使い慣れた動き方の中でしか動けていないからなのかもしれません。
なので、完成形をいったん脇に置いてみます。
それは上達を諦めることではありません。
完成形を目指すところからちょっと自由になったときに、初めて見つかるカラダの可能性の扉があります。
木舟のポーズで「上半身を持ち上げて」と言わない理由
先日、ティーチャートレーニング受講生のヨガノートを確認していました。
木舟のポーズのページに、レッスンでワタシが話したことが丁寧に書き留めてあって、「ちゃんと、届いているんだ」と嬉しくなりました。
同時に、ワタシ自身がいったい何をガイドしているのかを、改めてまとめてみたくなりました。
木舟のポーズは、うつ伏せから行う後屈です。
普通なら「上半身を持ち上げて」「背中を反らして」と言いたくなるところ。でもワタシは、そうは言いません。
伝えるのは、これだけです。
「恥骨を床に押しながら、足先を後ろへ、遠くへ伸ばしていきます」
すると、上半身を持ち上げようとも、胸を反らそうともしていないのに、胸がふわっと、脚もふわっと床から持ち上がっていきます。
後屈を「つくって」いないのに、後屈が「生まれて」くるんです。

ワタシ自身の感覚では、背骨のすぐ脇ではなく、少し脇腹寄りの深いところが、きゅーっと絞られるような感じがあります。
それなのに、腰で反ろうとしていた頃のあのギュッと詰まる感じは、ほとんどありません。
同じ後屈なのに、カラダの内側で起きていることはずいぶんと違うように感じられます。
楽なやり方を見つけた、というより、今までとは違う動き方をカラダ自身が見つけた。
ワタシが面白いと思っているのは、まさにそこなんです。
ガイドしているのは「形」ではなく「動きが生まれる条件」
ヨガの指導には、完成形を見せて、その形を再現してもらう方法があります。学びの基本、真似る、です。でもワタシがしているのは、少し違うことです。腰を反らして、胸を上げて、とカラダを操作してもらうというよりは、動きが内側から生まれてくる条件をガイドしています。たとえば木舟のポーズなら、恥骨を床に押し、足先を遠くへ伸ばす。その働きかけによって、上半身が自然に起き上がってきます。形を外からつくろうとすると、いつもの癖のある動きが顔を出します。でも条件を整えると、癖を経由しない新しい動き方が見つかることがあるんです。完成にこだわらないヨガとは、この「条件」に注意を向けるヨガのことです。
もちろん、同じ条件で誰もが同じように動くわけではありません。
だからこそ、目の前の人のカラダを見ながら、その人に必要な条件を探していくようにガイドしています。
そして、その新しい動き方に出会った方の多くが、あたらしい自分を発掘したように(実際そうなのですが)キラキラとした笑顔で、とてもよろこんでくださいます。
25年以上ヨガを指導してきて、いちばんうれしい瞬間です。
無理をしないヨガ、ではなく
生徒さんからいただく「苦しかったポーズが楽になった」「できなかったポーズができた」「しかも安定している」という声。
ここで大切なのは、楽なポーズに変えたわけでも、難しいポーズを諦めたわけでもない、ということです。
変えたのは、カラダへの働きかけ方だけ。
カラダの能力が足りなかったのではなく、それまでの動き方では、その能力を出し切れていなかった。
そういうことなのではないかと思います。
痛みを我慢したり、カラダを追い込んだりする必要はありません。でも、ワタシが目指しているのは楽をすること、でもないんです。
無理をしないヨガ、ではありません。無理だと思っていたことが、無理ではなくなるヨガです。
一度見つけた動きは、カラダ自身が道案内してくれる
一度その動きを体験した生徒さんは、次のレッスンでも再現できることがほとんどです。
なぜなら、そちらの動きの方が自然で楽だからです。
そして繰り返すうちに、動きはさらに安定して、洗練されていきます。
頭でやり方を覚えなくても、カラダがガイドしてくれる。それがだんだんわかってきます。
最初は、ワタシがガイドをします。
でもカラダがその動きを一度見つけると、今度はカラダ自身が道案内を始めます。
「ああ、こっちだった」と、カラダの中に道筋ができていくようです。
その日の体調で同じようにいかない日もあるけれど、それでも感覚を手がかりに、自分で動きを見つけ直せるようになっていく。
ガイドする主体が、指導者から、その人のカラダへと移っていくんです。
ワタシが本当にしたいのは、これです。
先生がいないと動けない人を増やすことではなく、自分のカラダに道案内してもらえる人と、一緒に探究を続けていきたいのです。
完成しないからこそ、ヨガは深まり続ける
完成形がゴールだと、できた・できないの二択になります。
できたら卒業、できなければ、まだまだ足りない。
でも、そのポーズを叩き台にして、自分のカラダと対話することが目的だとしたらどうでしょうか? 動きがどう生まれてきたのか、どこが働き、どんな感覚があったのか。
そこに注意を向けていると、同じ木舟のポーズでも毎回ちがう発見があるはずです。
長くヨガを続けているワタシでさえ、まだまだ飽きません(笑)。
一生自分のカラダと遊べます。
完成にこだわらない。でも、動きの質にはとことんこだわる。
完成しないからこそ、深まり続けられる。
こうした経験を重ねるうちに、カラダとの付き合い方そのものが、少しずつ変わっていくように思います。
「ちゃんとできているかな」とカラダを見張る関係から、カラダから届く情報を受け取りながら一緒に動く関係へ。
自分のカラダなのに、思いどおりに動かそうとするばかりで、カラダが何を伝えているのかを全然聞いていなかった。
そんなことに氣づく方も少なくありません。
そしてこの変化は、マットの上だけにとどまらないのです。
思いどおりにならない自分をどう扱うのか。
まだ知らない自分の可能性と、どう出会っていくのか。
ワタシが自分のヨガを「在り方としてのヨガ」と呼ぶのは、こういうことからです。
アーサナを「自分という存在を知るための実践」として書いた記事もあります。今回のお話は、その実践の中でカラダに何が起こり得るのか、という続きのようなものです。
→ アーサナはbe動詞だった。ポーズを通して「自分とは何か」を知るヨガの話
ちょっとだけ、試してみませんか?
いま立てる場所にいたら、楽な姿勢で立ってみる。
そして「背すじを伸ばそう」とする代わりに、足の裏で床を少しだけ押してみます。
背中がすっと伸びるかもしれません。
お腹の中心に柱がすっとできるかもしれません。
呼吸の感じが変わるかもしれません。
あるいは、特に何も起こらないかもしれない。
それでも構いません。
何かを起こそうとするのではなく、何が起こるのかを見てみる。
それが、ワタシのヨガの入口です。

よくいただく質問
Q. カラダが硬くても、このヨガはできますか?
A. できます。形の完成を目指さないので、柔軟性は前提になりません。硬さはむしろ、自分がどう動いているのかを知る手がかりになることがあります。
Q. 長年ヨガを続けているのに、ポーズが苦しいのはなぜですか?
A. 理由は人それぞれで、柔軟性や体の構造が関わることもあります。ただ、同じ動き方を長く繰り返すうちに、別の動き方に出会う機会が減っている可能性もあるように思います。
Q. レッスンで体験した動きを、一人でも再現できますか?
A. 頭で手順を覚えるのではなく、カラダが動き方を見つけるので、一度体験すると再現しやすいと感じています。そちらの動きの方が、自然で楽だからです。
Q. 「やさしいヨガ」とは何が違うのですか?
A. 無理をしない点は同じです。ただ目的は楽をすることではなく、条件を整えて新しい動き方を見つけること。その結果として、苦しかったポーズが楽になることがあります。
在り方としてのヨガを体験してみませんか
ポーズを完成させるのではなく、自分のカラダの中で何が起こっているのかを感じながら、動きを見つけていく。
文章だけでは伝えきれないことも、実際にカラダを動かしてみると、思いがけない発見があるかもしれません。
在り方としてのヨガは、オンラインでのレッスンのほか、長野県原村のリトリート施設「ヒルナノーグ(Hill na nÓg)」でも体験していただけます。
八ヶ岳の麓、森に囲まれた場所で、日常から少し離れて、自分のカラダと遊ぶ時間を過ごしてみませんか。
もちろんヨガの経験や、カラダの柔軟性は問いません。
大切なのは、ポーズを上手にできることではなく、今の自分のカラダに何が起こっているのかを知ろうとすることです。
リトリートについては、こちらをご覧ください。
最新のお知らせや開催情報は、公式LINEでもお届けしています。まだ参加を決めていなくても大丈夫です。氣になることがあれば、お氣軽にメッセージくださいね。
もし少し自分のことを話してみたい方には、オンラインでの「30分 在り方診断 無料コンサル」もあります。



