何かにつけて、恐縮してしまうクセはありませんか?
今日は、先日、私のブログを見てセッションを受けに来てくださった方のお話をします。その方が色々思うモヤモヤが、この『在り方としてのヨガ』で解消、昇華されていくだろうなーと確信しながら聞いていました。
主婦、まりこさんの場合。
この方(仮名)まりこさんは、主婦でお子さんがいらっしゃいます。育児のためにそれまでやっていらした絵のお仕事を中断しているそうです。ブログで見つけていただいて、お電話でお問い合わせをいただきました。そのお問い合わせのときや、セッションの始めに行う【シェアリング】の際にも『色々言ってしまって、、』とか『欲張りで、、』とご自身が言っていることに対して、なにか恐縮されているご様子でした。
あわせて参考までにこちらをご覧ください。
まりこさんがおっしゃる『色々』は、お話をとおして、 ただ一つの根っこから派生しているものだとすぐにわかりました。そして、こういう方が私のブログを見て、どうにかなるかなぁって思って、訪ねて来てくれ るってことは、私の発信の方向性が間違ってないなとも思えて嬉しかったのです。
赤ちゃんのころから便秘。子供の便秘をきっかけに、自分の便秘も治そうと。
では、まりこさんのお話の続きを。
『子供もそろそろ手が離れてきて、絵のお仕事を再開したいと思っているのですが、中断している間に感性のようなものが鈍った感じがするんです。なので、このまま再開してもいい絵が描けないと思います。
以前やっていた時の感覚で、いい絵が描ける時は、『なにかが、澄んだ状態』だったんです。それが何かははっきりとはわからないんですが、、、。
そんなところから、瞑想ってなんだかわからないけど、興味があります。また絵を再開といっても、本当に自分のやりたいことってなんだろうという気持ちもあるんです。』
何に、どちらに向かえばいいのかわからない、でも、どこかへ行かなくっちゃ。。私にはそんな風に聞こえました。それと、まりこさんは、赤ちゃんの頃から便秘だったそうです。
『母から聞いたところによると、赤ちゃんの時からコロコロのうんちだったんです。物心ついた時にはそういう状態だったので、それが当たり前になっていたと思います。が、子供の便秘をきっかけに、自分の便秘を治そうと色々試みてみました。
梅流し(梅干しをたくさん潰したものをぬるま湯で飲むという方法)で、初めてすっきりした時には、心持ちまで変化して、びっくりしました。その時に今迄の自分の性格というか考え方などはうんちに左右されていたんじゃないかって思うほどでした。でも、その方法も、回数を重ねていくと、すっきり感が少なくなっていきました。
最近はコーヒーでの腸洗浄をやったりしていますが、あの爽快感は感じることができません。
それと、子供の時から体力がないということを感じていて、最近はもっとそれをつよく感じる場面が多くなってきました。もっと体力があれば、家事も子供のことも自分のことも色々やれると思うんです。』
大体こんなことを話してくれました。
まりこさんは前述したもの以外、医者でスイマグ(水酸化マグネシウム:腸を緩ませる作用があるもの)を処方してもらったり、漢方を飲んだりしてきたともお話してくれました。
これでもあまり効果がなかったってことは、心に起因していることがあります。
実は、便秘の方の心の問題として【欲張り】ってことがあるんです。
まりこさんは、先の口述部分では敢えて載せませんでしたが、ご自分に対して『欲張り』って言葉をお話の途中、何度も使っています。
『欲張り』っていうとちょっと感じ悪く聞こえてしまいまうかもしれませんね。
でも、ちょっと別の言い方をすると、手放すことができないってことなんです。
『欲張り』っていう言葉をよく使う方は、物質的なものだけじゃなく、人間関係や、責任や仕事やアイディア、エネルギーなど、ありとあらゆるもの(もしくはその一部)を、手放すことが苦手なんです。あれもこれも、と集めるだけ集めて、それをどこにも行かせずに手元に置いておきたいと思ってしまう。
手に何かを握っているとします。それをずっと握りしめていたらどうなりますか?手の筋肉をずっと使っていなくてはいけないので、緊張状態が続きます。そして、手は硬直していきます。硬直した筋肉では、もうそれ以上何かを持つことは難しくなります。また、手を開こうとしても、握りしめていることに硬くなってしまっているので、中々開くことができません。重い荷物やつり革なんかを長い間握りしめていると、手を開くことが難しかった経験はありませんか?そんな状態が、この『欲張り』なんです。
まりこさんは、何かを必死で握りしめている状態じゃないかと思います。そのため、その心の緊張状態がカラダにも影響しているのです。緊張状態が続いて、腸を緩ませることができない結果、腸が蠕動運動できない状態になってしまっています。
まりこさんが一体何を手放せない状態になっているのか、というのは、これからのセッションの中で徐々に分かってくるでしょう。この、徐々に分かってくる、というのが重要だと私は思っています。無理のない範囲で、少しずつ進めていくと体にも心にも負担なく変化していくことができます。
この緊張状態というのは、さっきの握りしめている手の例でお分かりのように、緊張させるために常にエネルギーを消費しています。本来、体力という数値が100あるとして、そのうち20をこの緊張に使っていると、自分で使える体力が80になってしまいますよね。なので、体力がないと感じてしまうのです。
さらにいうと、その握りしめている“何か”は、まりこさんの本来のものではありません。つまり、まりこさんが、まりこさん自分自身でないもののために自分の体力を消費してしまっているんです。だから、まりこさん自身のものが見えなくなっていて、濁っていると感じてしまうのです。
『カオン式在り方としてのヨガ』で、自分の在り方を見つめ、自分のものではないもの、必死に握りしめてしまっているものを手放すことができたら、まりこさんの『色々』は一気に解消します。それだけでなく、本来の自分を知ることによって、どちらへ向かえばいいのかも自然とわかってきます。悩みであったはずの『色々』が一気に昇華されるのです。
これから楽しみですねー。まりこさん。
もし、あなたが治らない便秘をかかえていたら。。。
これをここまで読んでくださっているあなたが、何をやっても治らない便秘や、あるいはちょくちょく便秘になってしまっていたとしたら、『欲張り』と自分自身を思っていないか、『手放せない何か』を自分の内にもっていないか、ちょっと振り返ってみると何か変化があるかもしれませんよ。
タイトルにつけた『恐縮』っていうことも手放せない一つです。漢字をみてわかるように、恐れて縮こまること、が恐縮です。恐れている、怖がっているっていう自分の状態を手放せないっていう可能性もありますよね。自分自身をそんなに自信なさげにしなくても、ちゃんと認めてあげるっていうことも必要かもしれませんよ。
そうそう。
『欲張り』や『手放せない』ということは、ネガティブな悪いことではありません。ご安心ください。ただ、物事によっては、それを手元に溜めておかないで流したり発散させた方がいい場合もあるっていうだけですから。
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