今日はこんな方向けの記事です。
- どうしてクラスの最後にシャバアーサナするのか知りたい
- シャバアーサナでいつも眠ってしまうけどそれっていいの?
- 瞑想の時に無になるってどういうこと?
- その時の効果って??
ちょっと長めの記事ですが、上記のことが気になる方は是非お読みください。
きっとヒントになることが書いてあるはずです。
シャバアーサナとは
シャバアーサナは死体のポーズと訳されています。
死体の真似をするポーズです。
それでは死体の真似ってどういうことでしょうか。
動かない。
そうですね。
シャバアーサナの間は身体を故意に動かさないようにします。
死体はここがかゆいと言って、掻いたりしませんよね。
同時にもう一つ、ポイントがあります。
これは、ちょっと難しいかもしれません。
心を動かさない。
どういうことか分かりますか?
死体はあの時こうした方がよかったとか、明日はこうしなくっちゃって、反省したり考えたりしませんからね。
なので、シャバアーサナのポーズのポイントは2つです。
心身共に動かないってことなんですね。
「動かさない」から一歩先の「手放す」へ
でも、ただ動かないでじっとしているだけなら、実はまだポーズの意味を深く理解しているとは言えません。
死体とは(=死とは)「手放す」ことです。
もう少し詳しくいうと
- 自分の肉体を手放す
- 自分の心を手放す
ということ。
ここで「手放す」について考えてみましょう。
「手放す」前に必要なこと、「所有する」
手を放すには、その前にちゃんと手に持っている状態、所有するという経験がなければできません。
他人の持ち物を「手放す」ことはできないですから。
育児書に書いてあったりするのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
子供さんが、おもちゃをお友達に貸すことができない理由は、お子さんがそのおもちゃをはっきりと自分のモノだと感じることができてないから。
それと同じです。
自分の肉体と、自分の心をきちんと自分のものとすることができて、初めてそれらを手放すことができるようになるのです。
ヨガのポーズや呼吸をする意味がこれなんです
こうすることで、充分に自分の身体を味わい、体験することができます。これがとっても大切なんです。
その中で自分の身体や心が何をどう感じているのか、ちゃんと意識化することで、自分の身体と心を本当の意味で自分ものとすることができるようになります。
それができたところで、身体を手放し、心を手放す「シャバアーサナ」ができるようになります。
そしてここから、さらにもう一歩。
身体を手放し、心を手放したまま、眠らない状態でいると、意識だけの存在になることができます。
意識とは何でしょうか?
その説明をしましょう。
コップと水で例えてみますね。
意識は、いわばコップの中の水です。
その中に、「思考」という固まりや「感情」というかけらが生まれては変形したり、消えたりしています。
通常多くの人の場合、自分の思考、感情が、そのまま自分だと思っています。
たとえば、悲しみが生まれたら、私は悲しい、と。
感情はそのままの自分ではありません
本当は、思考や感情を自分のものだと認識している意識が働いて、そんな風に感じているのです。
さっきのたとえで言うと、悲しみという感情が生まれたら
私は悲しいと、感じている(認識している)。
この「悲しい」という感情を「感じている」の間には距離のような余白があるのがわかると思います。
先のコップの水のたとえで説明すると、意識の水の中に「悲しい」という感情の浮遊物が生まれて、水である意識が、それを認識している。
こういうことなんです。
ですが、その認識している意識(この場合は水)そのものに目を向けることがないために、意識の存在がわからなくなっているのです。
当たり前のように周りにある空気に誰も注意を払わないと同じです。
でも、その意識の存在を無視して、思考や感情が自分だと思って生きていると、疲れてしまいます。
最近の精神的疲労の多くはこれが原因です。
瞑想で感じ取る「意識」の存在
瞑想の目的の一つには
自分の思考や感情を含んでいる「コップの水」の存在に気づく
ということがあります。
コップの水に気づくということは、自分の【意識】に気づくことです。
そうすると、自分の思考や感情が、自分の意識に浮遊している固まりやかけらだと、わかるようになります。
思考や感情に振り回されることがなくなってくるのです。
だから、瞑想の効果として、こんな効果が言われるんです。
- すっきりする
- 落ち着く
- リラックスする
ここで話をシャバアーサナに戻しましょう。
さて、本題です。「シャバアーサナ」は「生命のポーズ」
シャバアーサナをすると
身体と心(ここでは思考と感情の両方の意味を持たせています)を手放すことができる
私たちは意識だけの存在になれる
と説明しました。
これはまさに死体を真似るのではなくて、死そのものを体験しているということ。
死の練習と言ってもいいかもしれません。
身体を手放し、心を手放すと、どうなるのか
そのとき、意識は無(空、自然、神、呼び方はそれぞれ好きなものを選んでください)へと還ります。
まさに本当の死と同じでしょ。
でも、実際の身体は生きていますから、その身体は呼吸をしています。
だから、身体は生命(いのち)そのものになるんです。
生命そのものになることを体験するには、限りなく無に近い状態で意識を保ち続ける必要があります。
シャバアーサナを最大限活用するために
ただ一つ、これに限ります。
眠ってしまい、意識がなくなるのを避けること
意識がなくなれば、その体験をしているということを認識できなくなります。
シャバアーサナの時は眠らないことが重要だという意味もここにあるのです。
10分間のシャバアーサナが夜の8時間睡眠に匹敵するくらいに疲労回復の効果があるとか、治癒力が格段にアップするなどと言われます。
それは、生命そのものを体験するのですから当たり前のことですよね。
最後にもう一度繰り返します。
シャバアーサナとは
身体を大地に放下し
エゴ(心)を手放して、自然へと還る
これが、シャバアーサナの意味だと私は思います。
シャバアーサナは、死体のポーズという名前だけれど
本当は生命そのものを体験、生命の循環の一部である死を体験するポーズなのです。
私はシャバアーサナをとても大切にしています
自然とシャバアーサナの時のガイディングにはとても注意を払っています。
といっても、こういう風に誘導しようと、事前に考えることはありません。
そのときその場で言葉が降りてきて、ただそれを発することに注意を払うだけなんです。
そして、それをもう一方で聞き手となっている私がいます。
私はクラスの中では、生徒さんと同じように横になりながらシャバアーサナをすることはありません。
ですが、そのときは、私自身も自分の心を手放して、内なるガイドに心をゆだね、生命を体験しています。
クラスではもちろん、個人セッションでも、深いシャバアーサナ体験していただけるように、その方の身体と心に合わせたお話しや、呼吸法、ポーズでメニューを組み立てます。
時にはエネルギーワークも交えて、より効果的なシャバアーサナを体験できるようにガイディングします。
シャバアーサナといえば『在り方としてのヨガ』と言われるようになりたいなと密かに思っています。